「サウジアラビアで出会ったボーイスカウトの友情」編


皆さんは中東のSAUDI ARABIAという国を聞いたことがあると思います。

この国は産油国として有名で日本と密接な関係が有ります。
また、イスラム教の戒律に最も厳しい国でもあります。
私はそのサウジのペルシャ湾側にあるダンマン地区と首都リヤドに1984年1月から翌年の8月まで電気技術者として
滞在していました。

この時にダンマン地区でであったサウジアラビアのボーイスカウト指導者との交流を紹介したいと思います。
今から約30年も前の話ですから、現在とだいぶ事情が違うとは思いますが、話の種に・・・

 あるとき、いつも走っている道路の脇にスカウト章らしき看板を掲げた白い建物が目に入りました。
それから何となく気にはなっていたものの素通りして約2Km先の砂漠の中の我が家(・・とはいうもののキャンプです)へ
帰っていたものでした。 

 ある金曜日(イスラム圏は金曜は休日です)、買い物から帰ってきたときに、その建物にスカウトらしき子供たちと大人が
見ええました。この時とばかり勇気を出してその建物を訪問しました。

 はからずもそこは県連でいえばスカウト会館のような場所であることがわかり、日本のスカウターであることを伝えるとともに、
日本から持参していた国際紹介状を見せました。
この時のスカウト会館の玄関には写真のマークが掲げられていたのです。

 
1960 -1980年代の
スカウト章


現在のスカウト章
 はじめは何者かといぶかしげに見ていた指導者たちは目を輝かせ、日本の
スカウターとして私を歓迎してくれました。

 その日はスカウト達がどこかのオアシスでのキャンプを終えて帰ってきたところ
とのことで、トラックに積んであるマットレスなどの寝具・炊具・・キャンプ用品を降ろ
してしているところでした。

この当時のサウジアラビアは外国人に対しかなり閉鎖的で、事務所以外には友人
であっても招くことはしません。その慣習にもかかわらず、私はスカウト会館であろう
場所に自由に出入りができることができるようになり、仕事帰りや休日にはずいぶん
と通って息抜きをしたものでした。

そこで知り合った指導者の中で、県連でいえば理事長クラスの大学教授、
コミッショナーらしき文房具店の社長、そして隊長と言うMr. Al-Amirというおじさんの
3人には大変お世話になりました。 左の写真は私が通い始める少し前に制定された
新しいスカウト章(現在も同様)。

みんなで撮った写真もあるはずなのですがそれが見つからないのが残念。この方たち
とは約10年以上文通していたが、いつの間にか消息が途絶えてしまったのが残念でな
りません。

ちなみに右上のスカウト連盟章の中で、ヤシの木はサウジのシンボル、その後ろは
テントです。 

私が帰国する頃には、スカウト会館のマークはこの新しいマークに交換されていました。

 
 
左のペナントは旧スカウト章のデザインですが 大学教授から頂いたものです。

スカウト章の周りに書いてあるアラビヤ語は日本でいうところの文部省のボーイスカウトと言うようなことがあいてあるらしい。


スカウト会館内を案内してくれるAl-Amir氏
 
スカウト会館内の記念品棚の一部

【アラブ人の自宅に招かれる】

特にMr. Al-Amirさんには家庭に何回も招かれると言う名誉をもらった。
当然のことながら、奥様はイスラムの慣例により絶対に姿を見せることはありませんでしたが、家族・親戚一同が迎えてくれる毎回の
Dinnerは暖かいものでした。

通常アラブの家庭が外国人を招き入れることはめったに有りません。
これはまさに「スカウトは兄弟である」の証し、信頼されたことの証しにほかなりません。まさにボーイスカウトをやっていてよかったと
思った瞬間でした。

そして民族衣装もそろえてくれて私にプレゼントしてくれました。
下はその時の写真です。ちなみに頭の黒い輪はもともと砂漠を旅する時にラクダが逃げないように足を縛るのに使われていたそうです。
そして頭のスカーフは単なる日よけではありません。砂嵐が来た時に顔を覆い目・鼻・口を砂から守るために使います。
 
 
スカウト会館の駐車場にて
Ar-Amir隊長とコッミショナー
 
Al-Amil氏の自宅に招かれる
民族衣装をプレゼントされた
 
Arabian Coffeeを注ぐしぐさを
要求されて撮影してもらった
この注ぎ方が難しい
 
こんな感じでいつももてなしてくれた
アラブ人の自宅へ招かれるというのは
大変貴重な体験のです
 
Al-Amir氏が香を炊いているところ
 
どうもアラビアの人は格好をつけさせるのが
好きらしく、いささか恥ずかしいが
今となっては良い思い出だ


こんなこともあったよ、「スカウトは皆兄弟・友誼に厚い」編

仕事ではセキュリティの大変厳しいところでもあります。 
軍事施設も沢山あり写真も撮影することが制限されます。 
そんな環境下で仕事に必要な許可を得ることはかなり困難なことが多かったのです。

ラスタヌーラという場所の、あるプラントに入るのに車検が何回も通らないので仕事にならず困っていた。
ある日、フィリピン人の検査員が私が着ていたアメリカ連盟のエクスローラーユニホームと日連のベルトをみて
「Are you Boy Scout?」と聞いてきた。 
答えはもちろん「Yes」だ。 途端に部屋へ案内されるは、冷たいものを出してくれるは、もちろん車検もOK。
これまで毎日約200Kmの距離を一週間以上も通っていたのはなんだったのか? と思った瞬間でした。 
もちろん彼はフィリピンのスカウトでありました。

また、首都リヤドでは車の修理が必要になったことが有りました。 ここでもすぐには直してくれるところが見つかりませんでした。
ところが、何回も足しげく通っていた修理工場のスタッフが、また私のユニフォームとバックルを見つけたのです。
早速、優先的に修理完了。それからそこの工場とそのスタッフにはずいぶん世話になったものです。
一番左が私で、その時お世話になった「ユニフォームとバックル」をしている写真です。
  
 
一番左が私で、リヤドの赤い砂漠に行く途中で撮影したものです。 

もっとも、この場合には「スカウトは皆兄弟・友誼に厚い」と言うより、
仕事的にはえこ贔屓ですよね。


あれから約30年経ってしまたが、若い時代にこういう体験ができたことは
私の人生にとって大変貴重な思い出深いものとなっている。  


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